My Usual Life

その日一日の事を徒然なるままに書きます。

人生を変えた瞬間その1:小林完吾さんの本 Part 2

前回の記事の続きです。 

humanstars.hatenablog.com

 

息子くんがまだヨメさんのお腹の中にいる頃、一緒に定期検診に行った産婦人科の待合室。

 

その時突然あたまに浮かんだ

「もし、いま、突然、診察室に呼ばれて、”検査の結果、お腹の子には障害があります”と言われたらどうしよう…」

 という問い。

 

そして、そこにあった小林完吾さんの本。

そこには、ダウン症という障害と、たくさんの合併症をともなって生まれてきたご長男の物語が書かれていました。

 

この中で、お嬢さんが小林さんにいった一言が、上の問いに明確な答えをくれ、その後息子くんが自閉症と診断されても動じない”魂”を植え付けてくれたのでした。

 

 

『答え』をくれたお嬢さんの一言

正直、この問いが頭に浮かんだときは悩みました。

『中絶』というのも心の中に選択肢にありました。

 

そんな時、目に入ったのは、待合室のベンチにある小林完吾さんの本でした。

 

そして、何の気もなしに開いたページは、事前の検査でダウン症の可能性が高いと思われていたご長男の出産場面でした。

 

生まれたばかりのご長男の顔をみて、小林さんはすぐに『ダウン症』とわかったそうです。

お子さんはお嬢さんがお一人でしたので、本来なら待望の男の子の誕生なのですが小林さんは喜ぶ気持ちになれなかったそうです。

 

そこへ、やってきたのがお嬢さん。たしか中学生か高校生か、かなり成長されていたと記憶しています。

 

「どうだった?」とお嬢さんに聞かれた小林さんは笑顔もなく、

「男の子。でも、やっぱりダウン症だった」

と(がっかり気味に)答えたそうです。

 

それを聞いたおじょうさんは

「やったー!!!わたし弟が絶対欲しかったの」

と喜びでいっぱい。

 

そして、

「障害があったってわたしの弟に変わりはない」

と今後の一緒の生活が楽しみな様子。

 

 

障害があったって…

この一言に『答え』を見つけたような気がしました。

 

そして、なぜか涙がぽろりと出たのでした。

なんの涙なのか今でもわかりません。

でも、なんかホッとしたような気分になったのは今でも覚えています。

 

その後、続きをむさぼるように読みました。

 

生命維持装置を外し、奥さん(つまりお子さんのお母さん)に抱かれて、3ヶ月という短い(でも太い)命がつきる場面では大号泣(T_T)

もし自宅だったら声をあげて泣いてたと思います(いまもこの記事を書きながら涙ぐんでます)。

 

産婦人科の待合室。

男の人がいることだけでも珍しいのに、そいつは号泣してベンチには涙で水たまりを作っています。

それはもう異常な光景だったと思いますよ(笑)。

 

でも、心の中には迷いはありませんでした。

「障害があったって、自分の子であることに変わりはない」

 

 

おそらく、この時の『答え』があったから、この後、息子くんが『自閉症』と診断されても正面から受けとめることができたんだと思います。

 

 

産婦人科の定期検診。

突然浮かんだ問い。 

ヨメさんがたまたま読んでいた本。

そこに書かれていた『ダウン症』。

そして、お嬢さんの一言。 

 

 

この偶然。神様の存在を感じざるを得ませんでした。

 

そして、神様に恥ずかしくないようお腹の子をしっかり育てようと思ったのでした。

 

あ、もちろんヨメさんが診察室から出てくるまでにベンチは掃除して顔も洗って何事もないようにしましたよ、この後は。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

ではでは。

 

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人生を変えた瞬間その1:小林完吾さんの本 Part 1

今回から少しずつ息子くんのことを書いていきたいと思う。

 

と言っても、今日は彼が生まれる前の話ですが…

 

 

 

息子くんに障害があるとわかった時…

障害者の親が書いた本、医者の本、障害とくに自閉症に関して書かれた本はいろいろありますが、ひとつだけ共通しているものがあります。

それは、自分の子どもに障害があるとわかったときの親の反応についてです。

 

ほとんどが、

「そんなはずはない」と否定したり受けいれられなかったり、

「なぜうちの子が」と悲嘆したり、時には絶望したり、

そういうネガティブな反応を乗り越える、というものです。

 

実際、その気持ちはすごくわかります。

 

でも、自分の場合、

「はい、そうですか」

とあっさりしたもので、否定も、悲嘆も絶望も、がっかりもありませんでした。

 

もちろん、男の子だったので、

「おおきくなったら一緒にサッカーやりたい」とか

「英才教育して勉強で困ることのないようにしよう」

なんて、息子くんの将来への期待は少なからずありましたよ。

 

なんせ、はじめての子だしね。

 

それでも、こんなあっさりと受けいれられたのは、ひとつは、『自閉症』という障害がどんなもなのか、その時にはわかっていなかったことがあると思います。

 

「ちゃんと治療すれば治るさ…」

とか思ってましたからね、その時は。

 

もうひとつは、息子くんが生まれる前に読んだ1冊の本のおかげだと思います。

 

今日はその本との出会いの話しをします。

  

 

 

”おもしろまじめ”の小林完吾さん、ご存知ですか? 

突然ですが、『小林完吾さん』ってご存知ですか?

昭和の時代に活躍された日本テレビのアナウンサーです。

 

 40代、50代の方は、徳光さんと2人で”おもしろまじめ”とかやった日テレのCMを覚えている方もいるのではないでしょうか?

 

 その小林完吾さん、お歳を召してからから男の子に恵まれました。

 

でも、高齢出産にありがちですが、ダウン症の可能性が高いと事前の検査でわかっていました。

 

奥様は、障害がある可能性が高くとも”生む”という気持ちにブレはなかったのですが、小林さんご本人は相当悩んだようです。

 

そして、生まれたご長男は、事前の検査どおりダウン症でした。

 

しかも、いろいろな合併症を伴っており、悲しいことですが、わずか3ヶ月でお亡くなりになります。

 

そのご長男について、小林さんは本(タイトル忘れてしまいました、ごめんなさい)を書かれていて、その本が自分の人生を変え、そして、息子くんが障害があるとわかったときでも前向きにしてくれたのでした。。

 

 この本がなければ、息子くんの障害をすぐには受けいれられなかっただろうし、落ち込んでいただろうし、当然今も違う人生を歩んでいたかと思います。

 

 

 

「お腹のお子さん、障害があります」と言われたらどうしよう… 

この本との出会いは、ヨメさんと行った産婦人科でした。

待合室に並んでいる本からヨメさんがいつも読んでいる本でした。

 

できちゃった婚”だからなのか、突然やってきたベビーちゃんがとてもとても気になってしまい、定期検診は会社を休んでいつもヨメさんと一緒に行っていたのです。

 

(↓その辺は以下の記事を参照してください)
humanstars.hatenablog.com

 

そんな定期検診のある日、いつも通りヨメさんは小林さんの本をとり、自分は持ってきた本を読んでおりました。

そして、順番が来ていつも通りヨメさんは診察室に消えていくのでした。

 

そこまではいつも通りでした。

 

でも、その日はなぜか突然、頭にこんな考えた浮かんで来たのです。

 

「もし、いま、突然、診察室に呼ばれて、”検査の結果、お腹の子には障害があります”と言われたらどうしよう…」

 

お腹はかなりふっくらしてたので、もう5ヶ月を過ぎていたと思います。

 

真っ先に頭に浮かんだ答えは、

「この時期って中絶できるのかな…」

でした。

 

そして、葛藤が始まりました。

「いや、障害があったとしても大切な命だし…」

「でも、自分は障害のある子どもをしっかり育てられるのか…」

ってね。

 

その時なぜか目に入ったのが、ヨメさんが読んでいて、待合室のベンチに置いていった小林さんの本でした。

 

この話、思い入れが強いので長くなってしまいました。
続きは次回にしますね。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

ではでは。

 

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ヨメさんとのことその2:結婚式での出来事

前回の記事でお話しした通り、
結婚式をすることに決まってから
当日まではおよそ10日でした(笑)。

 

参考記事

humanstars.hatenablog.com

 

 

そんな短い準備期間にも関わらず、
式そのものはとても素晴らしいものでした。

音楽なんて雅楽の生演奏でした。

 

当日の流れの予定は

集合→着替え→写真撮影→式→移動して食事会

でしたが、
この『写真撮影』で"事件"は起こりました。

 

ベテラン(ていうか"おじいちゃん")のカメラマンと助手が登場

現れたのは、

「大丈夫かな?」

と思うくらいのお年を召した2人組。

 

どうやらカメラマンとカメラマン助手のようです。

 

さすがはベテラン!

手慣れた段取りでテキパキと進めます。

 

時々、カメラマンのじいさんから、
助手のじいさんへは厳しい声が飛びます。 

 

が、とてもいい雰囲気で進み、
写真撮影も終わりに近づきました。

 

 

「おい!もっと大きい声で言えよ!」

この二人のやりとり、
やたら声がでかいのです。

どうやらカメラマンのじいさん、
耳が遠いらしいです。

 

撮影もほぼ終わりかけた頃、
助手のじいさんの表情が曇り始めました。

そして、カメラマンのじいさんに
耳打ちしています。

どうやら他の人には聞かれたくないことのようです。

でも、声が小さくて聞こえないようです。

 

カメラマンのじいさんは言いました。

「おい!もっと大きい声で言えよ」

 

しょうがないので、
助手のじいさんは声を殺しつつ、
少し大きめの声で

 

「おい、カメラにフィルム入ってないよ…」

 

一所懸命声を殺していったのですが、
撮影ルームにいる人間全員に丸聞こえです(笑)。

 

いや、一人だけ聞こえなかった人がいました。

そうカメラマンのじいさんです。

 

「聞こえねぇよ。もっと大きな声で言えよ!」

 

とうとう助手のじいさん、
ちょっとキレかかった感じに
部屋中に響く声で、

「カメラにフィルム入ってねーよ!」

と言いました(というか叫んだw)。

 

もう、そのやりとり、コントそのもの。

ヨメさんも自分も大爆笑です。

 

そして、トドメに
カメラマンのじいさんが
申し訳なさそうに私のところにきて言いました。

 

「あの…誠に言いにくいことなのですが…カメラにフィルムが入ってなくて、もう一回撮りなおしです。申し訳ありません。」

 

私は、涙流して大爆笑しつつ

「聞こえてました。大丈夫です。」

というので精一杯でした(笑)。

 

もちろん、式場の担当の方は平謝り。

 

でも、おかげさまで本当に思い出に残る結婚式でした。

あのじいさんたち、今も元気だろうか… 

 

あなたも結婚式で面白い思い出があったら
コメントしてくださいね。

 

今日はそんなとこで。

次回から息子くんのこと少しづつ書いていきたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではでは。

 

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(写真はイメージです)

ヨメさんとのことその1:ヨメさんとの結婚まで

自閉症』という障害のある息子くん。

彼の存在が、その後の私の人生に大きな影響を与えたのですが、
今回と次回の2回は、

”そんな彼を生んでくれたヨメさん”

のことについて書きます。

 

今回は結婚式までで、
次回は結婚式でのエピソードを書きます。

  

 

 実は『できちゃった婚

実は我が家は『できちゃった婚』です。

 

それも付き合い始めてまだ日が浅かった。

 

どれくらい日が浅いかというと、
彼女の両親に初めてお会いする日に

「実は…」

と、お腹にすでに息子くんがいることをお話ししなければいけない…

 

これくらい”日が浅かった”のでしたw

 

そろそろ寒くなてきた11月の半ばでした。

 

ええ。とても緊張しましたよ。

なんせ、ご両親のことは何にも知りませんでしたから。 

 

ヨメさんの実家に向かう途中の車内。

 

私:「お父さんの職業は?」

ヨメさん:「大工」

 

ゲッ!!職人さんかよ。

 

脳裏にはとても怖い厳しいお父さん像が浮かびました。

 

ヨメさん:「大丈夫。お父ちゃん、やさしいよ。」

 

あんたねぇ、
ヤクザだって自分の娘にはやさしいわ!!!

 

 

ともかく、緊張と恐怖で、
うなだれながら向かったのを覚えています。

幸い、本当にお優しい方だったので助かったのですが。

 

 

結婚式は『今月中に』

そんなとても緊張する場面をなんとか乗り切り、
ホッとした時ににお父様が言われました。

 

「結婚式はどうすんだ?」

 

結婚式? 

結婚するって決まったのも突然だし、貯金もないし、
お腹の中には子どもがいるし、
ということもあり、正直結婚式はしない、
あるいは、子どもが生まれて落ち着いたらと考えていました。

 

返事に困っていると、

「やはりけじめは必要」

とのことなので、
披露宴みたいな派手なことはできないけど、
式を挙げるくらいはしよう、となりました。

 

冬のボーナスが入ってからがいいかな…
と時期を考えていたときに、再びお父様から

 

「12月になると仕事が忙しくて手が離せなくなるので今月中にやってくれ」

 

何も考えずに

「わかりました」

と返事をしてから気がつきました。

 

今月中って言ってもこの土日は時間的に無理だし、再来週はもう12月。

 

ってことは来週の土日しかないじゃん

 

つまり、残された時間は10日間!

 

「マジですか…」というのが正直なとこでした。

 

 

ともかく、家に帰って黄色の『タウンページ』を開いて、
一番最初に目に入った近所の神社に電話をしてみました。

 

私:「あのー、来週の土日のどちらかで結婚式はできますか?」

神社:「あー、その日はとても日がいいので…あ、でも日曜日の午前中ならできますよ」

 

というわけで、あっさりと日時と場所が決まりました。

 

そのあとは大慌てで打ち合わせをして、
自分の親にも連絡してと嵐のような日々でした。

 

 

「結婚式は来春ですか?」「いえ、来週です」

その神社との打ち合わせの時に、
ふと思ったので聞いてみました。

 

私:「神社での結婚式なら指輪って要らないですよね?」

神社:「(何言ってんですか)いりますよ」

 

ということで、打ち合わせの帰りに閉店時間間際のパルコに駆け込みました。

 

物凄い形相で、スキャンするように全ての指輪を眺めていると、

 

店員さん:「結婚指輪をお探しですか?式は来春(らいしゅん)ですか?」

私:「いえ、来週(らいしゅう)です。」

 

とこんなギャグみたいなやり取りをしつつも、
店員さんは丁寧にご対応してくれて、
工房へ電話で掛け合っていただき、
なんとか間に合うことが判明したのは閉店時間を1時間も過ぎておりました。

あの時の店員さんには感謝です。

 

そんなわけで無事指輪を用意することができました。

 

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(あ、この写真はイメージです。実物ではありません。)

 

衣装合わせなど色々ありましたが、
無事当日を迎えることができました。

 

ま、その結婚式当日にも、
一つ面白いエピソードというかお話があったのですが、
それは次回にしたいと思います。

 

 

ま、今日はそんなとこで。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではでは。

 

久しぶりの記事:これから書こうと思っていること

久しぶりの記事。

 

これまでは何となく日々起きたことを書いていたような気がする。
と言ってもすごく昔なので覚えていない…

 

このブログの最初の記事を書いたときに10歳だった障害のある息子くんも来年の3月には高校を卒業して社会に出ます。

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息子くんが『自閉症』という障害を持っていることは、自分の人生に大きな影響を与えました。

それを振り返る意味で、結婚して、彼が生まれて、アメリカに行って、娘ちゃんが生まれてってな感じでどんなことがあったのかこのブログに記録しておこうと思いつきました。

 

実は、ほんの数ヶ月前に50歳になりました。

 もう何があってもおかしくはない歳になりました。
いろんな意味で役にたつかもしれない(笑)記録を残しておくことにします。

 

ということで、次回はヨメさんとの結婚あたりから書いていこうと思います。

 

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(↑ということでヨメさんの尻…)

 

そうですね〜。週に1、2個のペースかと思います。

 

では、また次回に!

娘とのキャッチボール

晴天が続いて気分のいいふーちゃんです。

油断していると更新が滞りますが、
そもそもこのブログは、日々のことを徒然なるままに書くだけなので、
更新が滞ること事態がおかしい。

それはすなわち、日々、日常が滞っていることと同じなのだ。

アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ
有名なスタンフォード大卒業式でのスピーチで、

「今日が人生最後の日でも、これから予定していることをやるだろうか」
の問いに「No!」が何日も続いたらどこかおかしい

というのがありました。

このブログが滞るのも同じことなのかな、と思います。

日々なにも感じることなく、ただただ、だらだらと流れている、
このまま死んでしまったら、その時満足できるかは微妙。

このブログに書くことがない一日とは、
そういうものだと思いました。

気をつけてアンテナをはっておきましょう、お互い。 

 

さて、今日はこの2、3日

「パパぁ、キャッチボールしようよ」

とうるさかった娘と近くの公園にいってキャッチボールしてきました。

正直、運動神経はからきしの娘ですが、
一所懸命ボールを取り、投げていました。

そんな娘を見ていて気がついた。

自分は野球を教えることはできるかもしれないけど、
キャッチボールを教えることはできなさそう…

相手がある程度のレベルになっていないと、
うまくコーチすることができないようです。

だから、まったく「ゼロ」の状態の人にコーチするのは苦手なんだ…

と気が付きました。

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ま、今日はそんなとこで。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではでは。

なんちゃってTEDその後

今日は昨日と打って変わって雨…
松本は今日が最後の花見チャンスなのでちょっとがっかりのふーちゃんです。

さて、半年ほど前、こんな記事を書きました。 

humanstars.hatenablog.com

障がい者が発表者のTEDの様なプレゼンテーションイベント。

それによって、障がい者のすごいところを知ってもらい、そのすごいところを活かしてビジネスにして自立につなげる。
そして、カッコよく発表してもらって、障がい者自身の自己肯定感や自信のようなものをあっぷしてもらう、そんなイベントを目指してのものでした。

この記事の会議の結果は、すばらしいもので、仮称だった”なんちゃってTED”は”SEEDプロジェクト”となりました。

そして、「とにかくやっちゃえ」、ということで
この会議をやった松本市SENSEというスペースで息子くんを発表者にこんな事までしてみました。

さらには、翌日の「鉄道の日」に潜り込んで松本駅でこんなのやっちゃいました。

 

そして、「やりたーい!」って聞いた人の中から、
「TEDxって、TEDからライセンスとってやるイベントあるらしいっすよ」
なんてのを聞いて、
今年の5月3日にやります、TEDxMatsumoto

ここの代表とかやってたりします。

だけど、TEDxMatsumotoを進めてみてわかったことは、
やっぱりTEDからの”ルール”の壁があり、
自分が思っていたかつての”なんちゃってTED”とはちょっと違う感じでした。
こちらはこちらで、第1回、2回、3回と続けていきたいですが、
なんちゃってTED改め”SEEDプロジェクト”は別の道に行くつもりです。

ただ、TEDxMatsumotoから学ぶことはたくさんありました。

そのひとつが、

「リアルなイベントって実施するのこんなにたいへんなんだったんだー!!」

ということ。

なので、SEEDプロジェクトは動画をつかってネット上でなんか出来ないものかと画策中です。
チャンネル登録していただけるとうれしいです。
(更新や活動は5月3日のTEDxMatsumoto以降になってしまいますが…) 

www.youtube.com

ということで、その後の報告でした。

ではでは。